2009年8月18日火曜日

おどりはだり

お盆におやすみをいただいて東北へ行ってきました。
一番の目的は西馬音内の盆踊り。どうせ行くなら黒石よされも行きたいなと足を延ばして青森まで。
おばあちゃんちが黒石にあって、子どもの頃に踊ったことあるよ~という青森の友人とその母と子(つまりは親子3代!)と一緒に黒石へ。
おばあちゃん(一緒に行けてたら4代だった!)ちに車を停めさせてもらい、よされのメイン会場の公園へ。はじめてみる3階建てのやぐらはとにかく大きい。
この日のスケジュールは昼間に組踊り、夜7時から流し踊りと廻り踊り。9時から10時まではおどりはだりとなっていた。
いろいろあるのね、と少し混乱していたら、友人がはだりは「もっと~っておねだりするみたいな意味の青森弁だよ」と教えてくれる。
組踊りをちらりと見て、流し踊りが通るこみせ通りへ。木造のアーケード、りっぱな建物が並ぶ町並み。中を解放していたお家の庭にはカルガモが泳いでいました。
夕飯を食べ(ものすごく美味しいお米と魚!)、場所取りしつつビールを飲む。じっと待っていられない子どもたちは、お散歩したりお菓子を食べたり、それでもよされの音がスピーカーから流れ出すと、まだかなまだかなとばかりに身を乗り出して流し踊りが来るのを待っているのがほほえましい。浴衣を来た男の子が音に合わせてまだ誰も通らない道の真ん中で踊っている。空が濃紺に染まり、ちょうちんの明かりがほんのり目立つ頃に、スピーカーからカウントダウンが聞こえ始めた。ゼロの後には合図の火薬音。公園側の空から、一気に鳥が飛び立つ。
しばらくして、えっちゃほーえっちゃほーとにぎやかなよされの流し踊りが前を通り、じゃあ今度は、公園のやぐらで参加しようかと移動し始めると、「今度は廻り踊りです。廻り踊りの体制になってくださ〜い」のかけ声がかかり、今まで流していた踊り子たちは、その場で輪を作り踊り始めた。
不思議な形式に驚きつつ、公園へ。やぐらの上の段ではそろいの浴衣を来た人たちが踊り、その下の段にまた人の輪。上るのをあきらめた人はさらにやぐらの下で上を見上げる。やぐらの廻りではずっと廻っているけれど、通りでは、流し踊りで進み、廻り踊りでその場で輪をつくりを繰り返しているらしいことが、お囃子の合間のアナウンスでわかる。お囃子は屋台ごと、流し踊りと共に移動する。
黒石よされと何曲かの廻り踊りを楽しんで、なんとなく雰囲気と振りがわかってきた頃、通りを流していた踊り子さんたちが公園に入ってきた。そしてそのままやぐらを囲む。さっきまで、上の2段だけで足りていたやぐらのまわりはみるみる内に何重もの円になった。
人の渦に圧倒されてはぐれないようにと端に避け、さっきまで楽しげに踊っていた子どもたちも少し疲れてきたので、おどりはだりには参加せず帰ることにし、わたがしを食べて満足した5歳の子と手をつないで、夜の小道を歩いた。
そのまま黒石駅まで送ってもらい、一家と別れて弘南鉄道で弘前へ向かう。

翌朝、弘前から湯沢へ。
湯沢からバスに乗り、西馬音内へ。交流会で、一番簡単ながんけの太鼓と一番簡単な音頭一番の踊りを教えてもらう。(太鼓はよせ太鼓、がんけ、音頭の3種類、踊りはがんけと音頭の2種類でそれぞれに一番と二番があるそう)
西馬音内で、郡上踊り後、ジンベイザメを見たり、琵琶湖を見たりしながら海沿いを旅してきたえちと合流し、町を散策。田んぼの道をひたすら歩いた先のあぐりこ神社には子どもの地蔵様のとなりに頭が蛾の石像があり、なんだか恐ろしくて思わず手を合わせてしまいました。
真ん中にかがり火が用意された道にシートを敷いて、ビールを飲みつつ、踊りが始まるのを待つ。旅の疲れにぐったりしていたえちも、外が暗くなり、かがり火が灯りよせ太鼓が鳴り始めると元気になってきた。
最初の1時間くらいは子どもの時間。幼稚園か保育園くらいの子から中高生くらいの子まで、途中途中に入っているのは母なのか、端縫いの衣装に編み笠をかぶった女の人がしなやかな動きで踊っている。まだ顔を隠さない子どもたちの表情がいろいろなのがおもしろい。子どもたちは、一番簡単な音頭の一番をひたすら踊る。
一時間程すると、子どもたちの時間は終わり、だんだんとひこさ頭巾や編み笠で顔を隠した女性が多くなる(中には男性もいる)。
大人の時間になると、音頭の二番や、がんけが踊られる。きれいに反った手と砂を鳴らす足さばき、竹久夢二の絵の中の人のような姿勢で踊る姿はゆったりと雅なのに、太鼓に負けないくらいリズミカルだった。

旅から帰る途中も、踊る人の姿が目について離れない。今さらながら、おどりはだり。

(くみ)

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